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放送作家部

人を笑わせる時に、どんな工夫をしているだろうか?
自分のとっておきの話をするときどんな仕掛けをしているだろうか?
何でも理屈がある様に「面白い」にも理屈がある。
この理論で、笑いが起きる構造を学ぶ。そして構造がわかれば「面白い」が身に付く。

この理論によると面白い事を伝えるにはフリとオチの構造が欠かせないと言う。
フリとオチというモノは一体どういうものなのか?
まず、オチを輝かせるためにフリがあるという。

フリというのは、オチがばれないものであったり、オチが見てみたいものといったようなものであることが望ましい。オチというのは、フリからの落差によってオチによる笑いの大きさが変化する。笑いというのは、フリからオチまでの落差によって生み出されるのである。その深さが深いほど、生じる笑いも大きくなるのである。

では、どうすればこの落差というものは、深くすることができるのか?
それには、相手の不意をついたり、想像していなかったというような落差を作ることができれば、それに比例して落差がつき、笑いが大きくなるのである。

「落差」についての例えとして「獰猛なドーベルマンにヘリウムガスを吸ったら?」という例題で説明する。芸人がヘリウムガスを使って変な声になるというのは、多くのひとが見たことがあると思う。しかしこの場合は、人間ではなくドーベルマンという犬に、しかも獰猛というオマケ付きである。いったいどんな事が起きるのだろうか?これこそが、オチが見てみたいと思えるフリであり、変な声で鳴いたり、吠えるドーベルマンという想像もしたことのないようなオチへとつながり、笑いが起きるのである。

もう一つ「ハムとCD」という例題では、ハムをCDと見立てて、ハムをプレーヤーに入れてみると何が起きるのか?という、ある番組の企画を使って説明していた。当然プレーヤーから音が流れることはないと思いつつも、ハムとCDは形もサイズも似ているため、もしかしたら・・・と考える。そこでハムをプレーヤーに入れてみる。すると・・・
「NOW LOADING(只今、読み込み中)」
まさかの「読み込み中」という表示!ここで笑いが生じるのである。

このように、オチを作るためには我慢をすることが笑いを起こすのに必要なのである。では、ここでいう我慢というのはどういうことなのか?『一瞬のオチまで我慢』というのは、フリを溜めるということだと思う。上の例でいうと、ドーベルマンとヘリウムガスという組み合わせで結末を気にさせるといったように、オチで笑いを起こすためにどれだけフリを巧みに考えて、オチまで繋ぐことができるのか、なおかつそこで深い落差をつけられるのか、ということが笑いを生じさせるのに重要なのではないかと感じた。

僕が思うに、この理論は何もテレビに限定されるものではないと思う。多くの人が人とコミュニケーションをとる上で笑いというものを必要とするのではないか?僕自身も人と付き合う上で、場を盛り上げようと思い、自分が経験した面白いことであったり、芸人が話した面白い話をしてみても、どうにもうけないときがしばしばある。それは、オチのことばかりに焦点を当ててばかりいたからだと、この理論を学び気づいた。一番おもしろいというところを伝えることだけに必死になって、そこまでの過程を気にしていないのだ。
しかし、それこそが大切だったのだ。その一番おもしろいことを伝えるために、すぐにそのオチを言ってしまうのではなく我慢するのだ。早くオチを言ってしまい爆笑させてやりたいと思うのは僕もそうだし、当てはまる人が結構いると思う。そうではなく、「ウソでしょ!?」であったり、「その先どんな展開になるの!?」といったような、相手側に興味を持たせることが出来るかどうかが、自分の持っているオチを100%中、何%まで伝えることができるのかに影響するのである。フリに全く興味を持ってもらえなかったら、オチがどんなにおもしろくてもうけることはないと思う。逆に、そんなにおもしろくないオチでも、フリがうまくできれば、思った以上にうけることとなると思う。