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放送作家部

私たちは生きていくうえである程度の「義務」を課せられる。例えば学校の課題だったり、仕事のノルマだったり。やれって言われたからやる。
しかし、それでは一向に成長はできないだろう。“考えなくてもいいこと”を勝手にやる人こそが優秀な人材になる近道なのである。

例をあげてみよう。1つ目は今から20年前に流れていた「関西電気保安協会」のCMでの演出の話だ。この演出を手掛けたのは、川崎徹さんというCMディレクターである。20年前、電気料金は一軒一軒家を回って回収するシステムで、川崎氏はその集金するおじさんを使ってCMを作ろうとした。関西出身のおもしろおかしいおじさんがコンコン、とドアをノックし「関西電気保安協会から集金に参りました」と集金に回る、という他愛のないCM。しかしおじさんは素人である。カメラの前やスポンサー、スタッフなどに囲まれての撮影は絶対に緊張してしまい、いつも通りのキャラクターが出せない。普通はテイクを重ねて一番いい映像を使うのだが、川崎氏はこの撮影を一発で撮り終えたのだ。どのような方法で撮影したのだろうか。
答えは、おじさんとの打ち合わせが終わりあとはカメラを回せば撮影できるというときに、川崎氏はADをぼこぼこに殴りだしたのだ。
おじさんは当然あわてだす。「このADが今日テープを忘れて来たんですよ!だから残り1回しか撮れないんです!誰かが失敗すると、セットを壊したり大損害が起きるのでADを殴ってたんです。」と川崎氏が言う。…まあこれは嘘なのだが。嘘だと知らないので自分が失敗したらまたADが殴られるはめになる!と思ったおじさん。「よーい、スタート」で始まった撮影では、おじさんは先ほどの緊張などを忘れてADのために頑張る。しかし、セットのドアノブがあえて取れるようになっており、思わず取ってしまう。今度はADではなく小道具さんが殴られると思ったおじさんは、うまくごまかしたりする。そうして笑いが生じて、よりよいCMが出来上がるのだ。

次はお昼の定番番組「笑っていいとも!!」で見てみよう。11時30分頃、客席に客が入るのだが、その時は全員知り合いじゃないからまだ暗い顔なのである。11時50分くらいにADがセンターから出てきて拍手の練習が始まる。「あそこから出てくるんで、僕をタモリさんだと思って拍手をしてください」というAD。
客は「テレビで見た光景だ」とか「こうやって練習しているんだ」などと盛り上がってくる。ADも「今の拍手いいですね」とおだてて、客をその気にさせる。しかし、何回も同じこと繰り返していると初めはノリノリの客もだんだん飽きてきて、拍手が適当になってくる。「もう1回だけ」とADは再びひっこむのだが、実は、時間は11時59分50秒。次に出てくるときにはちょうどOAが始まる時間だ。誰もが「またあのADかよ」と思っていた、しかしそこには本物のタモリが現れる!「本物だ!」と盛り上がった客は、拍手が驚きで練習の時の倍大きくなるのだ。

ひとつめの「関西電気保安協会」のCMの例では、普通、CMのコンテを考えたり、どんな映像にしたりするかと考えるが、川崎氏はおじさんをどうやってテイク1で撮るか、どう盛り上げるか、ということを考えている。「笑っていいとも!!」の例では拍手のとり方を踏まえ、量はどうやって増えるか、ということを考えている。これらは考えなくてもよいことなのだが、この考えがあるだけで物事の質がよりよくなるのだ。考えなくてもいいことを考える。それは物事に直接関係ないことかもしれない。だけど、クリエーターとしては最も大事な事なのかもしれない。