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放送作家部

一目見ただけで誰しもが吸い込まれるような、最高に面白い企画は、問答無用で成立する。だが、特別そうでもない企画の場合はどうだろうか。
TVにしても何にしても、一つの企画が企画会議をパスして採用されるには、その企画を行う事によって得られるメリットやその企画を推す理由がなければならない。

最も分かりやすい例は「歳時記」である。「春だからお花見企画」、「冬だから雪合戦をしよう」これらは、ごく自然に成立する。誰も首をかしげる事もなく、次の日曜日には近くの公園の桜の木の下でブルーシートを広げて宴会が行われるだろう。当たり前と言えば当たり前だが、こうして注目して見て見ると、しっかりとこの法則に合致しているのだ。
歳時記に限らず、理由は他にもある。不景気な世の中だから光熱費の節約方法を紹介する番組をやったり、世界のどこかで大地震が起きた次の日には災害番組の特番が組まれ、オリンピックが近づくととある選手のドキュメンタリーを放映したりする。

だが、TVでやっている全ての企画にこのようなキレイな理由が存在するとは限らない。いや、むしろこのようなキレイな理由が成立する企画など、ほんの一握りである。では、それ以外の、理由のない企画たちは、いったいどのようにして成立しているのだろうか。それは、「必然の付け足し」である。理由がなければ、無理矢理付け足してしまえばいいのだ。なんとか強引に理由をこじつける。そうすれば、その企画には「今これをしなければならない理由」が備わるのである。
例えば、今はまだ秋だが、スノボーの特集をしたい。そんな時は、「冬を先取り!今から決めておきたい超人気宿!」これなら納得である。
もう一つ例として挙げておく。スケート選手・Aさんのドキュメンタリー映像が撮れた。だが、スケートの世界選手権は終わってしまった。それなら、「A選手、悲願の金メダル獲得の裏側に秘められた苦悩の日々。それを支え続けた母の思いとは」いかにもありそうなタイトルである。

この「必然の付け足し」は、企画の内容自体にも応用できる。
ある1人の少年が、部屋でホットドッグを食べていた。近くのファーストフード店で買って来たのであろう。おもむろにレジ袋からケチャップを取り出すと、少年はそれをホットドッグに向けてかけた。その時だった!容器からはみ出たケチャップが飛び散り、部屋の壁に貼ってあるポスターの、よりによって水着の胸のところに付いてしまったのだ。あたりを見渡しても、ティッシュが見当たらない。もういいや、めんどくさい。自分の部屋だし。少年は、そのポスターに付いたケッチャップを、なんの違和感も無く、ペロリと舐めた。その時だった。サスペンスドラマの刑事のような、絶妙なタイミングで部屋のドアを開け、入って来たのは彼の母親だった。想像してほしい。部屋に入ると、そこには水着のポスターの胸の部分に舌先を滑らせ、固まったままの自分の息子。この後の親子間のやり取りは、誰しも容易に想像がつくであろう。

この話は、偶然と偶然の重なりによって成立している話である。ケチャップが飛んだ。ティッシュが見当たらなかった。母親が入って来た。そんな様々な偶然を、必然的に重ねた結果生まれた、笑い話である。
なんの変哲もない日常に、偶然を重ねるだけで、その企画は輝きを増す。皆さんもぜひ、この「必然の付け足し」、使ってみてはいかがだろうか。